〈話す前のこと〉
学生の頃からの友人だったひろみさんに声をかけてもらい、みなさんの前でお話をさせてもらうことになりました。
育休中だったわたしは、今しかないこの時間を!と、いろんなところへ遊びに出かけ、忙しない日々を過ごしていたのですが、この変化していく日々をもう少し丁寧に残しておけたらな、と思っていた時期でもありました。
そんな折にいただいたお誘いだったので、今しか思い出せない妊娠・出産のあれやこれやを、改めて振り返れる機会にもなるかなと、快く引き受けさせていただきました。
我が子が小さく生まれてきたことをオープンにすることで、この先この子にどんな影響がありうるのか、ほかの誰かを傷つけてしまうことがないか…など、想像しきれていないところもあるような気がしていて、文字として残すことに怖さもありました。
でも、前向きな選択として「今のわたしたち」があることが伝わればいいなと思い、お話させていただくことにしました。
〈話してみてどうだった?〉
お話を聞いてくださったみなさんには、重たい話というよりは、軽やかさのある前向きなものとして受け取っていただけていたらうれしいです。
わたしたちにとって、赤ちゃんが小さく生まれてくること、それは医学的にも“原因不明”のできごとでした。何か状況を改善させる対策のしようもなく、お腹の中の子を見守ることしかできませんでした。
でもあの時、自分のことを責めずに済んだという意味では、原因が分からないことに助けられたようにも思います。
誰のせいでも、何のせいでもないこと。そこに自分たちの意識をいたずらに向けてしまうことなくやってこれたことが、「“今”を見つめて、自分たちのできることをささやかでもやっていこう」とする姿勢に繋がっているような気がしています。
たぶん側から見れば、起きていることに見合わないくらい、わたしたちにはお気楽さがあると思います(笑)
でも、“産む”を選択するまでの方が山場だったわたしたちにとって、赤ちゃんが無事に生まれてきてくれた時点でもう「オールOK!」だったんですよね。
裏を返せば、親が子にしてあげられることは限られているということを暗に教えてもらっているような気もします。
生まれてきてからも、うめちゃんは、ゆっくりペースで成長しています。それもまた、親がどうこうできるものではなく、うめちゃん自身のペースで成長していくのを見守って“うめちゃんなりの、その時”を待つしかないのだと思っています。
もしできることがあるとすれば、一緒にいっぱい遊ぶことぐらい。おもちゃを工作してみたり、いろんな場所へ出かけてみたりはしていますが、それもこの子をどうしたいとかそういうものでもありません。むしろ子ども時代を謳歌できるように、この時期特有の世界観が失われないように関われたらいいなと思ってやっています。
ひろみさんが、わたしの話を聞いて、「人生」、「生き様」の文字をメモしたと言っていました。
紆余曲折しているように見えるかもしれないわたしの人生だけど、自分のなかでは、ずーっとまっすぐ歩いてきたんだよな、一本道だったよな、と改めて確認させてもらいました。それから、仕事を続けていく意味も。
ママになりたいとずっと思ってきただけに、その思いを子どもに注ぎすぎると、自分の思いを子どもに反映してしまいそうで危ういな、とも思っています。そうなると、子どもを自分の思い通りにしたくなってしまいそうで…。そうならないためにも、わたしは自分のやるべきことをもっておこう、と思っているので、今は、職場復帰が楽しみです。
〈次の話し手さんへ〉
「ぱぱまま」でお話をすることは、嬉しくもあり、楽しみでもありましたが、やっぱり不安もありました。興味をもってもらえるだろうか?役に立つお話ができるだろうか?なんて考え始めたりして…。
でも、べつに大講演会をするわけでもないのだから!と、ちょっと共有するだけのつもりで話してみたら、思いの外みんながポジティブ(?)に受け取ってくれた気がして、共有してよかったなと思えました。
誰かとちょっと分かち合ってみること。それはきっといい時間になるはずです。