ぱぱとままになるまえに

菜衣子さんへのインタビューを終えて

わたしが「ぱぱとままになるまえに」会いたいと思って会いに行っていたり、イベントでゲストスピーカーに招いていた人たちは、どんな人たちだったのだろう?

これまで、そのことについて言葉にできていなかったのだけれど、自分が母になり感じた「息苦しさ」や、出会った“ママ友たち”の違和感。逆に、「あ、わたしこの人といると『母になれてよかったなぁ』とか『母も楽しい!』って思えてるな」という人との違いを感じる中で、だんだんと言葉になっていった。

わたしが「ぱぱとままになるまえに」会いたかった人たち(=これからは、「ぱぱとままになるまえの人たち」に会わせたい人たち)は、誰かの言葉を話したり、誰かの考え方によって行動していない人たちだ。

親になると、どこからか急に立ち現れる“型”のようなものがある。けれど、その型に違和感を抱き、流されず、止まってきた人たち。型にハマらず、“自分”を保っている人たち。親になっても、“自分”を保つのは、容易ではない、ということは、わたしは親になってみてわかったことだ。

型にハマるほうがラクだったりする。それでも型にハマらず、自己流で歩む人たちの姿に、今のわたしは力をもらっている。

きっと、「ぱぱとままになるまえ」のわたしは、親になる前の“自分”を引き継ぎ、今の姿(親)がある人たちの“一致感”のようなものにホッとしていたのかもしれない。

その人たちが、「これまでの自分を大事にしたまま、親になっていいんだよ」っていう言葉を、体現して生きているような感じがしたから。

学生を抜けて、就職したり、結婚したり、社会的な「段階」を経て、どんどん型にハマってつまらなくなっていく人たちにガッカリしていた。

けれど、それでも型にハマらずに興味深い人生を送るおもしろい人たちの姿を見て、「親・大人になったら“こうあらねばならない”」なんてことはないんだ!って自分も思いたかったし、「なるまえのみんな」と、いっしょに思いたかった。

だから、そう思える人たちにみんなを出会わせたくて「ぱぱまま」の活動を始めたんだな、とはじめのころの気持ちが言葉になったような取材だった。

・・・

「ぱぱまま」を始めたばかりのころのわたしは、両親の離婚の影響もあって、「“絶対”離婚はしたくない」と思っていた。わたしの中で「離婚=悪」だったので、自分はそれを回避するために行動していきたいと思っていた。

でも、自分が結婚・妊娠・出産・子育てを経て、“絶対悪いこと”なんてないとわかった。過去の自分が綺麗事を言っているとも感じた(苦笑)。

あんなに「絶対離婚したくない」と思っていた私だったのに、気持ちの盛り上がりの勢いで結婚した。それでも、“今”にちゃんと満足しているし、これしかなかった、と思っている。夫と喧嘩をして、「あぁもう離婚だ!」と思うことがあっても、だ。

「離婚はいいことなんだよ!」と言及するつもりはないし、したくはない。けれど、変に意味をつけすぎないほうがいいな、とは思っている。

わたしは結婚・妊娠・出産・子育てをするうちに、型にハマるどころか、どんどんフラットになってきているな、と自分で思う。一見すると、避けていけるといいとされる、離婚・中絶など。でも、それって本当に避けたほうがいいの?

一つひとつの選択肢は、今のわたしの目の前にとてもフラットに存在している。いい・悪いなんてないんだな、と思う。

菜衣子さんのように、型にハマらず、自分で人生の舵を取るために必要な“力”ってなんだろう、と疑問に思いながら話を聞いていたけれど、もしかしたら逆に“力を抜く”ことが必要なのかもしれない。

自分の気持ちや、世の中の流れ、時代の進歩…。いろんな“変換点”が訪れたとき、「自分の信念を曲げてはいけない!」とか、「初心を揺らがせたくない!」とか、しがみつくのではなく、「今、ここ」を大切にして、ふっと力を抜き、「今」の健やかさや気持ちよさ優先で生きる人をこれからも見ていたいし、そんなパパやママたちの姿を「ぱぱままっぷ」では紹介していきたいな、と思う。

きっとその姿は、誰かの力になるから。

(文・「ぱぱとままになるまえに」代表・西出博美)

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