町田駅からバスに揺られること、約20分。
のどかな住宅地のなかに「しぜんの国保育園」はあります。
一見すると、保育園とは思えない建物。中に入っても「本当にここは保育園?」と思うほど、おしゃれな空間です。
出迎えてくれたのは、園長の齋藤美和さん。
こちらの予告記事でもお伝えしましたが、「しぜんの国保育園」が掲げる保育哲学は「すべてこども中心」。
それって、一体どうやったらできるの?
そんな疑問を胸に、美和さんにお話を伺いました。
ズバリ「すべてこども中心」って、難しくないですか?
西出:しぜんの国保育園(以下、しぜんの国)のこと、本で読んだり、制作されていた動画を見たりしていたけれど、実際に今日、この場に来れてよかったです。来る前までは、なんというか…幻のような感じがしていたので(笑)
美和さん:そうですよねー。実際に見てみないとね。
西出:学生のころ保育を勉強していたり、今は子どもを園に預ける親の立場になって、「しぜんの国みたいなところっていいな」と思いつつも、なかなかないなって感じがしています。
でも、難しさもわかるから、「こういう場って、どうやって成り立っているの?どういうテンションで先生たちがいるの?」とか気になって。それこそ「幻じゃないんだ」というのを知りたくて、ずっと訪問してみたかったんです。
さっき、美和さんが園内を案内してくれながら、「保育者がうるさくないでしょ」と言っていましたが、そういう様子が実際に見れてよかったです。子どもと大人(保育者)が“いっしょにいられている”感じがあるなぁと思いました。
西出:前回の取材で、“お母さん”を“している”人が私は好みじゃないと気がついたんですが(苦笑)保育者も共通しているなと思っていて。本当は、普通に“その人”としていてほしいし、そういう人と私は一緒にいたい。大人や個人として向き合ってほしいし、子どももそう感じてるんじゃないかなって。
「ぱぱまま」もそういう人をゲストに招いてきたんだな、ということが言葉になった取材でした。だから、私も子どもが産まれてもそうありたい。けど、「自分のままいる」というのが最近難しくって…。
今回の取材前のやりとりの中で、美和さんは「子どもが小さいころは大変だと思うことが多かった」って言ってたけど、私は、子どもが自分とはまた別の人格を持つ「わたる(西出の子どもの名前)」という“個”になってきたあたりからしんどい感じがしています。全く別の人間だ…みたいな。
自分を保って、この先もわーちゃん(わたるの愛称)と生きていきたいと思いつつも、“自分”があると、苦しい場面が増えてきたなぁと思って。
しぜんの国は、「すべてこども中心」って言っていて、それって大変だろうな。でも、美和さんの様子を見ていると大変じゃなさそうだな…と思って。あ、もちろん大変なのかもしれないですけど(笑)
なので、そのあたりを園長として、そして一人のお母さんとしても美和さんにお話聞きたいなと思って、今日は来ました。
美和さん:「こども中心」って聞くと、“子どものわがままに付き合う”とイメージするかもしれないけど、ちょっと違います。
子どもがいるからこそ見える世界とか、考えられる思考があるな、と思って。子どもってあんまりじっとしていないから、目の前の事象がどんどん変わっていくんだけど、それはすごく面白いなと思っています。
そもそも、「こども中心」は一人ではできないです。複数名の大人がいるからできる。園では、保育者同士(同僚)など大人同士の関係性がすごく重要になってきます。
以前、保護者の方とお話しているとき、「異年齢チームで過ごすことによって、自分の子どもの生活や暮らしの登場人物が増えた」とおっしゃっていて、それってすごくいいなと思ったんです。
親も自分の子育ての登場人物を増やしていくことってすごく大事なのかな、と思います。自分と子どもの1対1だと、“自分”と“他者”になるから辛くなるけど、そこにどんどん人を増やしていくことによって、「こども中心」が成り立っていくと思います。
私自身は、家では夫と話したり、友だちを呼んだりして、あんまり一人で子育てしてきた感じがないですね。もちろん「自分の時間が持てないな」って思うときもあります。夫に子どもを任せて、好きなライブに行こうと思ったら、子どもが熱を出して行けなくなったり…。
でも、もともと、あんまり子育てをうまくやろうと思っていないから、うまくいかなくても「まぁそんなもんかな」と思っています(笑)期待値があんまり高くないかな。
「普通」の保育園を目指して
西出:近所にこういうところがあればいいなって本当に思います。子育て支援センターとかに行くと、仮面を被ったような人が多いように感じて…。“普通に”話せる人がいないんです。
ママはママの仮面を、支援センターの人は支援センターの人という仮面を被っていて、「“あなた”はどこ?」って感じがして、人と人として接することができないんですよね。ここでリラックスできないなーって場所が多くって。
美和さん:私も苦手でしたね(笑)いきなり、アンパンマン体操とか親子でしなくちゃいけなくなったり。
西出:そうそう(苦笑)けっこう普通に恥ずかしい…。
美和さん:でも、保育士のセミナーなどでは、そういうのがけっこうあるんです。「みんなで一緒に感動を味わおう!」とか、「今日はみんなで一つになって、日々の保育の鬱憤を晴らしましょう!」とか。私は「一緒に感動しよう」って言われても「それぞれで感動すればいいのに」と思うから、あんまり共感できない(苦笑)
うちの園では「普通にしよう」ってすごく意識しています。服装も、声の出し方も。お母さんたちが「みんなで一緒に!」みたいのを求めているなら、そういう場に行くと思うんですよ。だけど、私はそれは向いてないなと思って、ここではやりません。
西出:親になったり、保育の業界に足を踏み入れると、一気にテイストが決まってることに戸惑いました。「はーい!みんな元気〜?!」みたいな元気キラキラなテンションとか。私はそういうお母さんや保育士にはなれないなって…。
あとは、ちょっと“母ちゃん”っぽいテンションもありますよね。何かあっても「ドンとこーい!」みたいな。明るくてパワフルでいいんだけど、そこにも行ききれない自分がいて…。だから、今日みたいに、自分も楽しいし、無理をしなくていい風景が見られるとホッとします。
美和さん:ドンと構えていきましょう〜!みたいなのが好きな先生もいますよね。でも、私には性に合わないかな〜。
人生って、どうなるかわかんないじゃないですか。途中で子どもがグレちゃうかもしれないし(笑)そのときにどうするか、しかないと思っています。
西出:当たり前に、“普通に”子どもがいて、気持ちのいい空間があって…みたいな。保育の現場や親子の場にも、もうちょっとグラデーションがあってもいいのかなって思うんですが、なかなかないんですよね。
大人みんなが「保育者」
西出:ここは、以前からこういう園だったんですか?
美和さん:2011年に夫の紘良(こうりょう)さんが園長になって、いろいろと改革しました。伝統を大事にしながらも移り変わっていったと思います。季節や社会が移り変わるように、保育も変化していった感じですね。
西出:もともとは紘良さんのご両親が始めた保育園なんですよね。
美和さん:そうです。1979年に設立されて、たくさんの人に愛されてきた保育園だと思います。今働いているメンバーでも卒園児が数名います。
私はもともと、保育士になりたかったわけじゃないんですよ。しぜんの国と出会う前は、むしろ、子どもとは距離を置いていました。だから、最初に保育園に来たときはすごくびっくりしました。子どもっていきなり吐いたりするし、トイレが間に合わなったりとか、もう衝撃!と思って(笑)でも、入り込んだら抜けられなくなりましたね。
西出:園舎も、紘良さんが園長になってから建て直したんですか?
美和さん:そう、2014年に建て直しました。新園舎になってから「小さな村」をテーマにして、全員が「保育者」になったんです。
その中で「保育集団」というものに出会って。保育者のまなざしとかすごいなって思いました。本当に子どもとの日々が好きで、大切にしているんだなって伝わってきました。「好きなだけじゃできない仕事だ」とか言いますけど、でもやっぱ好きなんだろうなって感じます。
ただ、「好き」という気持ちだけでは保てないと思うので、どうにかして歯を食いしばらなくてもできるようにしたいなって思いました。
西出:自分たちの目指す保育を実現することって大変そうですけど、どうやってるんですか?
美和さん:私がどういう保育士でありたいか、マネージャーと一緒にミーティングをしたり、自分の強み、弱点を分析したり、不安なこと、今やりたいことなどをヒアリングする時間と、チームでの対話の時間を大切にしています。とはいえ、全然まだまだ至らない点も多いんですけど…。
私は、個を見て、群れを見ます。見ていくと、やっぱみんな面白い部分があるから、それをどう掬っていくか考えます。
「自分が大事にされている」って実感している保育士は、子どもたち一人ひとりを大事にできます。例えば職員を紹介するときに、「◯◯さんです」って個人の名前で言うのと、「給食の先生です」っていうのとでは、絶対に実感が違うじゃないですか。
そういう「場を保つため」に絶対やろうと思っていることって、実は細かく、いっぱいあるかもしれないですね。
美和さん:保育者の表情もよく見ていて、気になったらその日のうちに「今日どうしたの?」とか、「今日ちょっとしんどい?」とか聞いてみます。私が聞かないほうがいいかなというときは、マネージャーとか他の人に頼んだり。
保育が楽しくなくなっちゃう瞬間って絶対訪れるから、それを元気とか明るさで塞がないようにしています。しんどさとか、ままならなさとかを出せる環境じゃないと、結局、「子どもって元気でかわいいよね。私たちもがんばろ!」みたいな感じになって、ポジティブに殺されちゃう。全然健全じゃない。
保育者だって辛いって言っていいし、お母さんもそう。保育や子どもの場が「元気で明るくて清々しい!」みたいな幻想に囚われているのかなと思いますね。
人生は思い通りにいかないもの
西出:そこまで向き合えるのって、美和さんがもともと編集の仕事をしていたこととか、異業種から保育の現場に入ったことと関係しているんですか?
美和さん:うーん、どうなんだろう?基本的に、「人生は楽しいことばかりじゃない」と思っているところはあるかな。思いがけないことが起こるのが人生だと思っていて。
それは大学生のときに父親が亡くなったとか、自分が出産したときも出血多量で死にそうになったとか、全然思い通りに生きてないんですよね、私。でも、幸せだと思っている。思い通りにいかないけど、どうしようかって考えられていることが幸せ。
逆に、思い通りにしようとすることで、苦しくなるんだと思うんですよね。保育や子育ても同じで、「子どもが言うこと聞かない」とか、「全然話を聞かない」とか、そもそも相手(=子ども)は他者だから、思い通りにはいかない。でも関係性が深まってきたり、信頼が築けてきたときに、関係が変わってきます。
西出:私も、自分の感情を流したりしたくなくって、いちいち立ち止まりたいタイプ。今は子どもが園に行くようになったから、時間をとって「何が嫌だったのか?将来どうしたいのか?」とか気持ちの整理をつけて、子どもに向き合えるようになったので楽になりました。
でも、子どもが小さいときとか、それこそ保育の現場って日々忙しくて、常に目まぐるしくて、嵐のように時間が過ぎ去っていくから、その時々の自分の感情がポロポロと落ちていっちゃう。
でも、しぜんの国の先生たちは向き合ったり考える時間がありそうで、それは何でだろう?と疑問に思いました。お遊戯会をしないとかで、取捨選択ができてるからですかね?
美和さん:タスクが多いと苦しくなりますよね。自分の仕事もそうだけど、子どものタスクみたいなものは、おろして余白をつくらないとキツくなるかな。でも、やっぱり心も身体も忙しい仕事だとは思います。
西出:保育者がうるさくないとか、「普通」のテンションでいるとか、そういうのってわかりづらいですよね。いちいち言葉を尽くして、時間をかけて説明しないと理解されにくい。しぜんの国みたいな場所が増えたらいいなって思う反面、保育の現場や保護者って時間がないから、わかりやすいものに飛びつきやすい気がしていて。
「自分がどうありたいか?」とか考える時間なく、「明るく元気で清々しい」保育者やママになっていきがち。でも、「あ〜何でそうなっちゃうんだろう」と残念な気持ちになる。もうちょっと違う時間のかけ方をすれば、「あなたが、あなたのまんまママになれるのに」と。
美和さん:私は中学生のころから、雑誌は「オリーブ」とか「暮しの手帖」とか読んでいたんですけど、親御さんたちも暮らしや好きなものを大事にしたいっていう世代になってきているんじゃないかな。そこをちゃんと掬わないと、保育だけ時代とズレてしまう。
幸せって、“提供されるもの”ではないんですよね。“自分で見つける”もの。そして感じるもの。だから従来の保育業界の空気に合わせる必要はなくて、今まで自分が大事だなって思ってたことを、より大事にすればいい、と思いながらやっています。
今だからこそ、子どもに伝えたいこと
西出:しぜんの国で働くうえで、ルールとか決め事ってあるんですか?
美和さん:保育のことはみんなで話し合っていきますが、アートディレクションは大事だと思います。あとは、居心地の良さってなんだろう。気持ちのいい風景ってどんなもの?など話します。研修もしますね。
西出:しぜんの国みたいなところや人って、まだ少数派なのかなって思うんです。やっぱりまだまだわかりやすくて、手っ取り早いものが多数を占めているような感じがしていて。
でも「ぱぱとままになるまえ」の人たちからすると、しぜんの国のようなもののほうが手に取りやすいと思うんですよね。私は「ぱぱとままになるまえ」の人たちにやっぱり届けたいと思っていて。「こんな世界があるなら、こんな人たちがいるなら、親になるのも悪くないな」って思ってほしい。
一般的な保育の現場や親の姿って、「なるまえ」の人たちからすると、ちょっと引いちゃうようなテンションになりがちなんだけど、もうちょっとこういう「普通のとこあるぜ!」っていう景色を見せたくて。
一つひとつ向き合って、立ち止まって、考えて、言葉にして伝えて…って大変ですけど、そのおかげでこの園では大人も子どもも不自由ではないんだな、と思いました。
美和さん:本当は違和感があるのに、違和感を抱く暇がないのかもしれないね。でも、新型コロナウイルスのパンデミックが起きて、違和感を抱く余白ができたのかな、と思うことがあって。
というのも、緊急事態宣言中に、在園児ではないご家庭の方から園に電話がかかってきて、「今、子どもを通わせている園でいいのかな」とか、「大人の都合で子どもが一斉で遊ぶことが多いけれど、このまま大人の言うことだけを聞ける子どもでいいのかなって思ってきちゃった」とか、何人かから連絡があったんです。
個人のインスラグラムにもメッセージが来たので、全部答えました。みんな違和感があっても、まわりに共鳴してくれる人がいなくてキツいって言っていました。だから電話でもメッセージでも、同じ違和感を抱いている人がいると思うと安心するみたいです。
西出:コロナがあって、子どもは急に、子どもの「社会」である保育園等に通えなくなりました。そして園に通えない子どもは、その親が責任をもって家で、と。
大人の「社会」はまわっているのに、否応なしに子どもの「社会」はストップさせられて、その親である私も「子どもと家」という閉ざされた状況に身を置くことになりました。公園にテープが貼られたりして遊ぶ場もないし、行き場が本当になくて…。あぁ、子どもって、こんなにも権利が蔑ろにされて、意見を言うことも届ける場も、子ども宛てに言葉が届くこともないんだ、とショックを受けました。
だから、しぜんの国が「こども中心」と言い切って、子どもの側に言葉を寄せて、もちろんその周りには大人がいて…という状況をつくってるのってすごいなと思ったんです。美和さんは自粛期間中、息子さんとどう過ごしていたんですか?
美和さん:息子は3月頃からずっと小学校に行ってなかったかな。休校中、気をつけたいと思っていたのが、息子の前で学校のシステムの悪口を言うのはやめよう、ということ。誰かのせいにするのはやめようって。
心の中では「早くオンライン授業が始まればいいのに」とか思っていたけど、それを息子の前で言っちゃうと、息子がこれから生きていく社会の中で「お客さん人生」になっちゃうなと思ったんです。
私は息子にいつも「お客さん人生」でいてほしくないって思ってるから、逆に、それを伝えるチャンスだなと思って。「どうしたら楽しむことができるかな?」、というのを息子と話しました。夫と時間割を組んだりしていましたね。
もちろん、ごはんを作らないといけないとか家族でやりくりもしたり大変なこともあったけど、今だからこそ子どもに伝えられることがあると思いました。
園の保護者にもかなり手紙を出したし、子どもたちにも手紙を書きました。登園自粛期間が終わって、私が子どもたちに伝えたいと思っていたのは、この期間中、家にいた子も、園で預かっていた子も、お父さんとお母さんはあなたと一緒に過ごせたことを幸せに感じているはずだよ、と。
どんな状況でも、「あなたはうれしい存在なんだよ」っていうことを、今がチャンスだと思って伝えました。保護者の本音はわからないけど、子どもたち自身が自分が迷惑な存在だと思わないようにしたいなと思っていたので。この話をしたとき、子どもたちはやっぱり嬉しそうでしたね。
子どものまわりに、自然と大人がいる社会
西出:私は子どもが園に通うようになって、自分がどうしたい?とか、自分と子どもを含めた将来のことを、やっと考えられるようになりました。子育ての仲間が増えた感じもあって、心強かったですね。“自分”の範囲を超えられなかったけれど、園によって子どもも私も育ててもらった部分が多くて、園って本当に大事だな、と感じています。
久しぶりに美和さんに会えて「これで大丈夫なんだ」って思えたことも、今日の大きな出来事でした。
美和さん:全然、大丈夫。この前、昔の写真を整理してたら、私が息子を膝に置いてゲームをやっている写真が出てきて(笑)一緒に写っている友だちが「あのとき美和を見て、私も子育てできるって思った」って言っていましたね(笑)
子どもがいながら園長をやっている人も少ないのかなぁ。忙しいときは「今日はもうコンビニのご飯だ!好きなおでん選んで〜」とかありましたね。だから全然、素敵な子育てじゃないです。
でも楽しいですね、子育て。私がこうやっていられるのは、本当に周りの人たちのおかげなんですよ。大らかさに救われています。
西出:そういうの大事ですよね、本当に。私もママっぽくなろうとしてないのに、自然とそうしちゃう自分がいて…。園のお母さんに会ったら、元気よく「こんにちは〜!」とか言っちゃったりして(苦笑)油断するとそういう波に飲まれてしまう。全然自分らしくないのに。
たぶん、そういう姿を“なるまえ”の人たちが見ると「あんな風には、なれないな」って、ちょっと引いて思っちゃう。悪循環ですよね。
美和さん:しぜんの国は大学生とかも見学に来ることが多くて、去年も2人、インターンに来たんですよ。2人とも保育士志望ではなかったんだけど、とにかく保育の現場に入ってもらって、「いっしょに暮らす」ということをしました。
そういうの大事だなと思っていて、十代で保育に興味のある人には、どんどん現場に入ってもらっています。保育園に通っている子って、大学生とか高校生と関わることがないから、きっと面白いと思うんです。
今も3人の学生がアルバイトで来ているんですけど、間口を広くしています。保育が専門分野ではない人たちを受け入れることは、意識的にやっています。
西出:本当は社会ってそういうもんですからね。
美和さん:そうそう。専門家だけに囲まれてたら、息苦しいですよね。
西出:今はカテゴリー分けがきっちりされている社会ですよね。「ぱぱまま」も、「学校でやったらどうですか?」とか、「何歳くらいの方を対象にやってるんですか?」とか聞かれることが多いけど、あんまり分けたくないというか、もっとみんなにとって共通のことだという気がしていて。「普通で、当たり前のこと」みたいな感じがするんだけど。
子どもが産まれてから、平日の日中に町を歩くと、母子か高齢者しかいなくて、「あれ?」みたいな。今まで自分が生きてきた世界とは全く違う世界が日常になって。高校生や大学生、働き盛りの若い人にぽっかり会えなくなって、身体的にも精神的にも“パパとママになること”がリアルになる年齢に近づく人たちに全く会えないんだな、って気がつきました。
美和さん:断絶されちゃうんですよね。
西出:でも本当は町の中ですれ違ったり、居合わせる場があれば、子どもを持つことを、もうちょっと当たり前に感じられるんじゃないかな?って思うんです。
普段は子どもを見ないし、会わないし、考えない。だけど急に妊娠しちゃったり、あとはそろそろ子どもがほしいなって思ったときに、リアリティがないから、そりゃあ不安だろうし、選択肢として先延ばしにしがちなのもわかるなって。
こうやってしぜんの国みたいに「いつでも来ていいよ」っていう、行きやすい雰囲気の場があることって、すごく大事だなぁって思います。バイトとかインターンとか、いろんな関わりしろがあるのもいいですよね。
美和さん:子どもにもいいしね。おしゃれなお姉さんが来たら、みんな嬉しそうだったり(笑)金髪の高校生が来たとき、子どもたちは「なんで金髪なのー?!」って興味津々でした。「絵の具で染めてんだよ〜」とか答えてて(笑)なんかいいなって思って。こういうほうが自然ですよね。
西出:美和さんが園庭を案内してくれたときに言っていた、「片手に保育士という技術をもって、もう一つの手では自分をもつ」っていう言葉、すごくいいと思っていて。お母さんも同じかなって。“お母さん”だけを抱えるんじゃなくって、片手に“自分”を持って、それを手放さなくていいのになって思います。
美和さん:子どもが生まれると、急に文化が幼稚になったり狭くなったりしちゃうけど、産む前から聴いてた音楽とか、自分が好きなものを大事にしてていいと思うんですけどね。
「こども中心」っていうのは、子どものわがままに付き合うとか、そういうことじゃないんです。子どもがいるから考えられることとか、悩むこと、困ることがあって。でも、面白いこともあって、大人だけの生活では考えられないことがあります。子どもといると、見える世界は変わるし、私はもっともっと、子どもと一緒にいたい。
子どもって、「こうあるべき」が少ないからかもしれない。大人だけよりも、子どもがいたほうが大人同士の関係性もいいような気がしています。何かを考えるときに「子どもはどう思うかな」って考えた方が心地いいし、一つの判断基準になっているかな。「こども中心」にすると、思い通りにいかないことがあるからこそ面白い。
西出:大人だけだと、思い通りに行けちゃいますもんね、良くも悪くも。そうじゃないベクトルができるって、面白いですよね。
最初に「すべてこども中心」と聞いたときは、常に子どもに合わせるの?それって大変じゃない?と思っていましたが、美和さんの話を聞いているうちに、その誤解がするすると解けていきました。
子どもに合わせてあげるのではなく、大人に合わせてもらうのでもなく、それぞれがともに心地よく過ごせるように。そんな思いがこめられていると感じました。
子どもも、大人も、一緒に楽しく居合わせる。
「しぜんの国保育園」だけでなく、社会全体がそうなればと願っています。
(文:古瀬絵里・西出博美 写真:藤原慎也)