ぱぱとままになるまえに

「わたし」と「子ども」が健やかに、ともにいられるには?

もうすぐ4歳になる息子と一緒にいるのが「しんど…」と感じる場面が増えた。(ごめんよ…)
 
出産を終え、おなかから出てきたものの、まだまだ「あなた」と「わたし」の境界があいまいな、ただただ“捧げていた”ような乳児期には抱かなかった感情だ。
 
「自分」と「子ども」が別の人間になってきたあたりからはじまる“それ”は、母親としての自信を失わせるし、子どもに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになるし、どこにぶつけたらいいかわからない苛立ちにもつながった。
 
そして、ついつい出てきそうになる愚痴が頭に浮かぶたびに、「こういうことが“ぱぱとままになるまえの人たち”へ届くと、『うわーしんどそー。やっぱり子どもはまだいらないな…』って思わせることにつながってしまうのかもしれない…」と、「ぱぱまま」の代表のとしての、“もう1人のわたし”がわたしに「それでいいの?」と、問いかける。
 
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前回の記事の「あとがき」で、
「ぱぱとままになるまえの人たちに会わせたい人というのは、親になると急にどこからか立ち現れる“型”のようなものがあるが、その型にハマらず、“自分”を保っている人たちだ」
と書いた。
 
そう書いたものの、型にハマらず、「自分」として母親を続ければ続けるほど、「しんど…」と思ったりする。いっそ、型にハマって楽をしたくなる。
 
THE・ママ。THE・親と子…。
 
けど、やっぱ、なんか、イヤ。
 
型にハマることに対してブレーキがかかるのは、“イヤ”ということがモチベーションなだけではない。なんだか、子どもの側にいても、“らしく”共存できているような人たちの存在を知っているからだ。
 
東京・町田にある「しぜんの国保育園 -small village- 」の園長をしている齋藤美和さんも、そんな人のうちのひとり。
美和さんは、わたしの憧れの人。
前回同様、取材の前にはあんまり言葉になっていないが、なんか、いいんです。笑
 
「しぜんの国保育園」は、保育哲学として「すべてこども中心」と言い切り、掲げている。
 
「こども中心」にして、“わたし”は霞んでゆかないの?と思いつつ、園や美和さんの様子を見ていると、霞んでいないような気がする。むしろ、子どもといるからこその、何かがありそうな…。
 
 
「こども中心」を、自分を霞めずに、互いに健やかにいるには?の、ヒントをもらいたい。
 
「将来、子どもを産みたくない」とか、「まだ子どもはいいや…」いう人の中には、「こども中心」は、まだできないなぁ/したくないなぁって人も多いのではないかな?と思う。
「ぱぱまま」をやっている中でもよく聞いたことだ。
 
「キャリアを積んでから」「仕事で満足いくところまでできたら」「もうちょっと“自分の時間”を楽しみたい」「もうちょっと“2人の自由”を楽しみたい」…。
うんうん。だよね~。と思うのです。
 
わたしは、お母さんになったからって、仕事がどうでもよくなったわけじゃなかったし、お母さんになったからって、アンパンマンや仮面ライダーが好きになったわけじゃない。お母さんになったからって、今まで好きだったことを捨てたり、諦めたくない。
 
でも…。
そんなわたしは、「こども中心」ができないままなのかな?
 
「教えて、美和さ~ん!」という気持ちでインタビューにむかった。
美和さんは「こども中心」でも、霞んでいないな。不自由でもなさそうだな。楽しそうだな。
 
でも、どうして?
 
美和さんも、子育てしていて、「しんど…」ってとき、ありましたか?そんなとき、どうしていましたか?
「しぜんの国保育園」の園長としてと、小学校6年生の男の子のお母さんとして。
そして何より「齋藤美和さん」として、話を聞いてみたくなりました。
 
というわけで、「ぱぱままっぷ」次回のインタビューは、「しぜんの国保育園」園長の齋藤美和さんへのインタビューです。お楽しみに。

(文:西出博美 写真:藤原慎也)

しぜんの国保育園 https://sizen-no-kuni.net/
 
齋藤美和さんってどんなひと? https://hokuohkurashi.com/note/176333
(「北欧、暮らしの道具店」のインタビュー記事です)

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