ぱぱとままになるまえに

子育てと、「運」について。

ひろみ:知り合いづてに「沈没家族」の映画を知りました。おもしろそう…!と思いつつ、なかなか観れなくて…。
でも、ずっとずっと気になっていて、「沈没家族の加納土さんは、おもしろい人に違いない!」と思っていました。

土:(笑)

ひろみ:前回の「ぱぱままっぷ」の取材で、「しぜんの国保育園」の園長、齋藤美和さんにお話を聞きに行きました。
美和さんが話していた中で印象的だったことばが、「子育ての登場人物を増やすこと」だったんです。

わたしの知りうる“最多の登場人物の中で育った人”は、土くんなんじゃないかな…?と、頭に浮かび、次にお話を聴くなら土くんだ、と思いました。

土:きっと、最多でしょうね。笑

ひろみ:「沈没家族」の映画を撮るってなったときに、総勢何人くらいの人に会いましたか?

土:僕が20歳のときに沈没の同窓会があって、その場で会った人もいれば、後日、個別に話を聴かせてもらった人もいて…。
カメラを持って再会した、という意味で言うと、20人くらいは会えましたかね〜。映画の中では使ってないけど、個別に会いに行った人も何人もいます。

辿って辿って、辿りまくって、やっと連絡先知ってそうな人につないでもらって話を聴けた…とかもありました。

今でも沈没の大人同士で交流がある人たちもいるけど、割とそこから関係が外れた大人もいたので、そういう人とコンタクトとるのは大変でしたね。

登場人物が多い中で育って、どうでしたか?

ひろみ:土くんに取材したい、と思いついたときは、「登場人物がめちゃくちゃ居た中で育って、どうでしたか?」みたいなところが聞きたかったんです。

まずは…どうでしたか?笑

土:登場人物…ほんと、多いですよねー。

アバウトに答えるのであれば、超楽しかったし、すごくこう…自分の人生の糧になってるなって感じはあるし…。

なんだろう…。
映画の中で、めぐ(※沈没家族でいっしょに育ったもう一人の子ども)も言ってることですけど、「怒られたときに、違う誰かの部屋に行けば甘やかしてもらえた」とか、
家の中に穂子さん(※土くんのお母さん)っていう親の価値観しかないっていう状況じゃないこととか…。

出入りの激しい場所だったので(笑)世の中にはいろんな人がいるんだな〜って思ってましたね。みんないろんな生き方をしているし、子育て…というか、子どもとの関わり方のスタンスもみんな違ったので…。

月並みな言葉だけど、“多様性”みたいのを知れたっていうのはありますね。
そういう意味では、めっちゃよかったなって思います。

ひろみ:大人がそれだけたくさんいるっていうのを、子どものときはどう感じてましたか?
「おもしろいな〜」と思ってたのか、それとも、「怒られても逃げるところがあって、ラッキー!」だったのか…とか。

単純に子どものときって、どう思ってた記憶があります?

土:八丈島に行って、(※土くんが8歳のとき、穂子さんが決めて、沈没ハウスを出て八丈島に住むことになったのです。)穂子さんと2人の生活になってからの比較っていう意味で、もう無限に沈没では遊んでくれる人がいたから(笑)それがほんとに幸せなことだったんだなって、後から気がつきました。

一人で何かをやるみたいな時間がずーっとなかったんです。
絶対、誰かが相手してくれてました。

しかも、みんなそれぞれ得意なジャンルがあったので。本を読むのがうまい人もいれば、カードゲーム一緒にやるのがおもしろい人もいれば、アニメをただ横で見てるだけなんだけど、ちょっと安心する人…とか。

そういう人たちが、常に僕が何を考えてるのかとか、どういうことをおもしろいと思ってるのかということを気にしてくれていて、僕が言ったことに対して、「あ〜そうなんだ〜」とか相づち打ってくれたり、「これが好きなんだね〜」とか、興味を示してくれたり…みたいなことが、すげー幸せだったなって思いますね。

同時に、たくさんいたからこそ、いわゆる“しつけ”みたいなところの温度感もそれぞれ違いました(笑)

一つの事象に対して、「この人はこれをすると、この人にとって大事なことだから、すごい嫌なんだな。でも、あの人にとっては大したことでもないんだなー」とか。

あと、箸の使い方の教えられ方が違うとかもありましたね(笑)

朝と昼で、どっちが正しいマナーなんだ?!みたいなことはありました。
「そういうの大変だったでしょう?」とか言われたこともあったけど、そこはうまく、「この人のときはこれだな」みたいに学習していました(笑)

子どもがいると、大人が団結…というか、大人同士も仲良くなるスピードが早いですよね。

子どもの一挙手一投足を酒の肴にして飲むと、はじめて沈没に来た人たちもすごい仲良くなっていってて。結果的にどんどん人がいっぱいくる、みたいな循環がありました。

僕自身も「確実に僕を見て、酒を飲んでるな〜」みたいに、意識してました(笑)

「たぶん、子どもと普段あんま関わったことない人なんだろうな。すごい子どもが珍しいんだろうな。だから、僕たちを見て、テンションあがってるな」って(笑)小学生くらいになると、そこらへんまでわかってきましたね〜。

映画を撮るきっかけになった「沈没同窓会」


ひろみ:映画、取材前に観れました。すごいですよね。この映画、最初は大学の卒業制作のものだったんですよね…?

土:全くこんなことになるなんて思ってなかったというか…。最初は、「映画館で上映したい」って思って作ってたわけでもなくて…。それがこんなことになるとはね…思わないですよね〜(笑)

はじめは、自分のために撮っていました。

ひろみ:20歳のときに行われた沈没家族の同窓会が映画を作るきっかけになったんですよね?

土:そうですね。
穂子さんと、映画の中でも出てきた、しのぶさん(※めぐのお母さん)が「久しぶりに集まろう」って音頭とって。大人と子ども、30人くらい集まりました。

…子どもっていうか…子どもも大人になりつつあったんですけど(笑)沈没をやってた当時、20〜30代くらいのにーちゃんねーちゃんだった人たちが、もうけっこうおじさんおばさんになってて(笑)
みんなでお酒飲んだり、当時の写真をスライドショーで見たりだとかして、合宿所みたいなところで一泊しました(笑)

ひろみ:(笑)

土:顔も名前もわかんない大人たちがたくさんいて。でも、みんな、僕の話ですごい盛り上がってて…(笑)それが…不思議な感じでしたね。

僕と再会して、感動して涙を流してる人がいるけど、その人が僕は…わからない(笑)

「泣いてるあなたは誰ですか?」みたいな状況だから、まぁ、ずーっとモヤモヤしてて…。
そこでやっと、沈没に関心を持ちはじめましたね。

土:沈没を出てからは八丈島にいたので、島の生活に順応することにけっこうパワーを使っていったので、沈没がどんなんだったかなとか、顔も名前も遊んでた人も、どんどん忘れていきました。

自分のルーツっていうのを、全く考えないできてたんで、ハタチのときの同窓会でみんなと集まってなかったら、たぶん今でも僕は沈没の人たちと全く会ってないし、なんか、「遥か遠い昔にこんなとこがあったのかもなぁ〜」ぐらいで大きくなっていたと思います(笑)

ひろみ:土くんは、8ヶ月から8歳まで沈没家族で育っていて…幼少期。親が一番心配しそうで、一番意識が向きそうな、重要そうなときに(わたしが幼少期の子どもを育てているからそう思うのかもしれないけれど)沈没家族で育ったのに、その時期のこと、薄くぼや〜ってくらいの記憶だったっていうのが、興味深いなって思って。

そう思うくらい、幼少期の記憶って薄いものなのに、何で子育てしてる人は、意識しすぎてしまっているのかな、って。わたし自身も、悩んだり苦しんだりしている真っ最中だけど、何でなんだろうな〜って思いました。

わたしも、小さい頃のことを強烈に覚えてるとかないし、小さい頃の何かの出来事によって今の自分がいるって思ったことないのに…。子育てする側になると、「幼少期って、人間の根っこをつくるすごく大事な時期だから、これ気をつけなきゃあれしなきゃ…」とか思ってるな〜って。

土:子育てって、親の努力だとか、思いの強さとかによる影響があるのかもしれないけど、基本的には運みたいなところもすごく多いんじゃないかな、とも思っていて…。

仮に、沈没で育ったとしても、みんながみんな僕みたいに穏やかに振り返れるかわからないし。沈没で育ったことが、すげートラウマになる子どももいるかもしれない。
逆に、まぁ、普通の父親がいて、母親がいて…っていう核家族が辛い子どもだっているから。

なんというかその…。結局、やっぱ、その子どものパーソナリティによるものも、けっこう大きいかもしれないし。なんか…。僕の中では、育てる親がそんなに考えすぎなくていいよなぁとも思いますね。

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