ぱぱとままになるまえに

“保育人”が入れ替わり、立ち替わり…。
「共同保育」で育った加納土さんに聞いた、
『登場人物の多い幼少期はどうでしたか?』


映画「沈没家族」の監督であり、“沈没家族”で育った当事者である加納土さんに話を聞きに行きました。

1995年、シングルマザーだった土くんの母・加納穂子さんは、『あなたも一緒に子育てしませんか?』と書いた手作りのチラシを東中野駅前で配りました。インターネットも、SNSもなかった時代に、自力で“共同保育人”を集めた穂子さんは、生後8ヶ月の赤ちゃん(土くん)を、自分と、他者とで育てていきます。

親元に帰るのでもなく、新しいパートナーを探すのでもない。その新しい形の子育ての在り方は、当時話題となり、メディアでも取り上げられることが多かったそうです。

また、ちょうどその頃、ある政治家が『男が働きに出て、女は家を守るという価値観が薄れてきて、離婚をする夫婦も増えてきた。家族の絆が弱まり、このままだと日本は沈没する。』と発言し、物議を醸していました。穂子さんたちはそれを逆手にとり、共同保育の取り組みを“沈没家族”と名付けます。

そして、沈没家族で幼少期を過ごした加納土さんは、現在26歳。

わたしは今、4歳の息子を育てているのですが、ついつい手を出し口を出し…。あとから、「またやりすぎちゃったかもな〜…」と自分で感じるときがあります。我が子のことを大切に思うからこそなのですが…。

もっと気楽に子どもと過ごせたらな〜と思うものの、核家族だからか、多様な価値観に触れにくく、親子の関係性を客観的に捉える機会も足りない気がしています。

わたしだけではなく、社会的にも、構成人数が少ない中での子育てに限界を感じ、“家族の形”を再考しなおす風潮があるように感じています。

そんな中、真逆の環境で育った土くんは、どう思っているのだろう?

タイムマシーンなどないから、未来の我が子を、今、見ることはできないし、「あのときのママ、どうだった?」なんて、未来の我が子に聞くこともできない。

土くんに会いたい気持ちは、ここから来たのではないかなぁ。

子育ては、先が見えない。“答え”なんてないし、わからない。でも、“答え合わせ”をしたいような気持ちがどこかにあったのだと思う。

果たして、“答え合わせ”は、できたのでしょうか?

初対面なのですが、本を読み、映画を観たらついつい「土くん」と呼びたくなってしまった土くんと、わたし(西出)の対談です。

同じような不安や迷い、悩みを抱える、パパとママになった“あと”の人、自分の将来のことなんて全然わからないよ〜という、パパとママになる“まえ”の人も。皆さんに読んでいただけたらうれしいです。

それでは、どうぞ。

※記事の中で、映画や本の「沈没家族」については、【「沈没家族」】と表記、
土くんが沈没家族自体について語るときには、土くんのインタビュー時の表現をそのままに、【沈没】と表記します。

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