ぱぱとままになるまえに

親まで本能全開だったら、“社会”で親子は生きていけないの?

Facebookで母と“友達”になったとき、わたしの母は、子育て中のわたしの気持ちを覗きやすくなった。

そして、わたしがSNSを通して、他のひとと子育ての悩み等を共有している様子を見て、自分が子育てをしていたころを思い出してひっぱり出してきた、一冊のノートがあった。

ノートの現物写真。表紙のディズニーランドの紙に、歴史を感じる…。

母がわたしを育てているときは、SNSなどなかった時代。
とあることがきっかけで、公園でいつも会うママたちで“交換ノート”をはじめた。

母が持っていたのは、二冊目。母・命名の「スクスクノート」
一冊ごとに命名者がいて、そのひとがノートを保管しておくことになっていたんだそう。
(一冊目は、幼なじみのやっちゃんのお母さんが持っている。名前は、「出合いノート」。)

うちの母は、あまり“言葉”で、わたしに伝えてこない。(…と、わたしは感じているのだけど…。)
だから、このときも、『ひろみがちょうど2歳くらいのとき、(わたしの子どもが2歳くらいのころに手渡された)こういうノートを書いていたんだよ。あげる。』と言ってノートを手渡された。

ノートの中身をチラ見せ。
途中、ひねくれそうになったりもしたけれど、スクスクと育ったわたしです。

ノートの表紙を見たら、ぼんやりと引き出された記憶があった。

むかし住んでいた団地の、玄関のドアポストに入っていた、このノートの感じ。
ゴトン、と届く音。
玄関のポストにわたしが取りに行ったこともあったような気がする。

そのノートは、なんだかわたしにとっても、“良い存在”だった記憶がある。

今思えば、このノートが届いたあとの“風通しのよくなった雰囲気”を子どもながらに感じていたのかもしれない。

前回の、「しぜんの国保育園」園長の齋藤美和さんへのインタビューで特に印象に残っていることは、「子育ての登場人物を増やしていくこと」。(気になる方はこちらから読んでね。)以後、わたしも子どもと過ごす中で意識をしている。

そんな日々を送る中で、次は、加納土(かのう つち)さんにお話を聞きたいな、と頭に浮かんだ。
2019年4月ポレポレ東中野で公開されはじめた映画「沈没家族」の監督。
撮影・編集も行っていて、そして何より、「沈没家族」で育った、当の本人だ。

「沈没家族」は、加納さんが生後8ヶ月から8歳になるまで暮らしていた“家族”のこと。

土さんが産まれたあと、父親と母親が離れて暮らすことになり、母親の穂子(ほこ)さんは、「ひとりで育てること」も、「新しいパートナーといっしょに育てること」も、「実家に帰ること」も選ばなかった。

穂子さんが選んだのは、「共同保育」

穂子さんは、チラシを作り、駅前で配って、「保育人」を募った。集まった保育人たちは、シフトを組んで、土さんの面倒をみた。それが、「沈没家族」。

当時、とある政治家が、
ーー「男が働きに出て、女は家を守るという価値観が薄れている。離婚をする夫婦も増えて、家族の絆が弱まっている。このままだと日本は沈没する」ーー
という主張をしており、『それならわたしたちは沈没家族だ!』と笑いに変えて名付けた。

わたしは、知人経由で「沈没家族」の映画を知った。
すごく観たかったのだが、映画公開当時、子どもが幼稚園に通いはじめたばかりで、東京まで行き映画を観る…という時間がなかった。
結局、映画を観ることは叶わなかったけれど、加納さんのことは、映画を知ってからずっと、気になる存在だった。

美和さんの記事をまとめ終えたとき、「わたしが知っている史上、きっと最多の登場人物の中で育ったひとではないかな?」と、加納さんのことを思い出したのだ。

だから、そのまんま、「たくさんの“登場人物”の中で育ってきて、どうでしたか?」と、聞きたいと思っていた。やっぱり、そこに興味はある。

けど、まず話を聞きに行くまえに…と、彼が2020年8月に出版した「沈没家族 子育て、無限大。」を読んだ。そうしたら、聞きたいことは、もうちょっと別のところにあるような気がした。

「ぱぱままっぷ」で、土くんに取材をして、(本を読み終わると“土くん”と呼びたい気持ちになってしまった)何を感じたいんだろう? 何を、みんなと共有したいんだろう?

本を読みながら、本に書き込み、ノートに言葉を留めて。本の中の土くんと“交流”をした。

そして、新たな問い。

わたしは、何で、「沈没家族をつくり、そこで子育てをしてきた母親の穂子さん」ではなく、土くんに話を聞きたいと思ったのだろう?

映画公開後、穂子さんに話を聞きに行っている媒体もあった。けど、わたしは土くんに話を聞きたい。 それはなぜ?

ひとつは、“同じ”感覚で話せるような気がしたからかもしれない。穂子さんは、もう、すでに、一つの答え(事例?)を持っている。

けれど、土くんは、まだ子育てをしていない。今後、するかどうかもわからない。そこが、いい。
わたしも、まだまだ子育ての“はじめ”の頃にいて、今後は、超・未知。

「ぱぱままっぷ」の読者の多くは、土くんか、わたしの立場に近いひとたちだと思う。(「ぱぱままっぷ」は“一応”、「ぱぱとままになるまえ」のひとたち向けに書いているので)だから、いっしょに“未知”を探りたい、と思った。

・ ・ ・

もうひとつ、本「沈没家族 子育て、無限大。」に書いてあった、「本能」と「理性」らへんのことについて、土くんと話したいな、と思った。

冒頭に書いた、母が公園で出会ったママたちと回していた「スクスクノート」には、本能、まではいかないにしろ、清く正しい“だけじゃない”、“素”のお母さんたちの気持ちが書き留められていた。

ノート内でのうちの母は、ご飯を食べさせるのが大変で、ご飯作りまで億劫になってしまっている、と書いていた。「ついつい野菜を出す頻度を減らしてしまう」と、反省していた。

しかし、わたしの記憶だと、野菜はいつも出ていて、嫌いだったブロッコリーを食べるのに、苦戦していた。母のご飯は、“ちゃんとしてた”気がしていたのに…!
わたしが小さい頃は、うちにはゴマ擦り器がなかったらしい。「親として、これじゃダメですよね…」なんてことも、書いてあった。

他にも、子どものおもちゃについて悩んでいたり、『本をゆっくり読む時間がほしいよ〜!』と思っていたこと。『ゴムのスカートが増えてショック』なんていう一文には、笑ってしまった。(ほんとに、楽な服が増えるんだよねぇ。笑)

話して、言葉では伝えてはこないものの、ノートを読んでいたら、「お母さんも、今のわたしみたいじゃん」って、思えて、少し気が楽になった。

わたしが“大人”になってから、母はお酒をよく飲むようになった。飲んで、酔うようになった。
わたしは逆に、子どもを産んでから、お酒が飲めなくなった。身体的にも、気持ち的にも。何にも気にせず、酔う、ということができなくなった。

そっか。お母さんは、解放されたのか…と気がついたのは、最近のことだ。

・ ・ ・

土くんの本を読んで、「もしかしたら親は、“本能と理性”の間で揺れたり、悩んだり、苦しんだりしているんじゃないかな?」と思った。

とにかく、今のわたしはそうだ。
振り切って、“理性”で母親らしく!な、子育ては、できないし、したくない。けど、本能のまま、というわけにもいかなくて…。(中途半端だ..。)

“フツウ”の家庭のメンバー構成だと、“母親らしく(または“父親らしく“)”という、理性の皮が、なかなかはがれない。
はがしにくいメンバー構成になっているような気がするし、“はがしたい”場面にも、なかなか出くわしにくい。

けれど、本能全開の子どもと共にいると、親の本能も刺激される。

本能のままに生きているように感じる(勝手なイメージですが…)土くんの母親・穂子さんさえ、幼い頃、土くんが思いっきりケンカをする姿を見て、本能のままに生きる子どもに、刺激を受けていたことを、沈没家族が配付していたフリーペーパーに記載していた。
そのことを、土くんは、「“本能”に対しての憧れのような、この感情はとても普遍的なものだと思った」と、本に書いている。

【親まで本能全開だったら、“社会”で親子は生きていけないでしょう?】

頭で理性がそう言うけれど、そうしたくないと、本能が感じている。

だから、揺れる。だから、苦しい。だから、悩む。

“家族”じゃないひとがたくさんいっしょに暮らしているなんて…と、理性は説明を求めるけれど、「沈没家族」は、“フツウ”じゃないけれど、孤独な子育てをしている身からすると、やっぱり、理屈抜きに羨ましく感じた。

きっと、いろんなひとが、「沈没家族」の在り方に、“本能”(=素直な気持ち)を刺激され、揺れたんだろうな。

・ ・ ・

過去の“インタビュー”記事を読んでいただくとわかるように、“インタビュー”とは言いにくいくらい、“わたし”が出てきます。
これは、インタビューじゃなくて、“対談”か!(笑)と3人目の取材にしてやっと、気がつきました。

毎回、明確に聞き出したい「答え」もなければ、「こんな感じで記事をまとめたい」という終着地点があるわけでもありません。

あーだこーだ言いながら、「ひと」に会い、はなして、揺れて揺さぶられ、少し、立ち止まって。そこで言葉になったものに、何かの希望を感じています。

それでは、わたしと土くんの対談記事、たのしみにお待ち下さい。

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