ぱぱとままになるまえに

絶対化と相対化。

ひろみ:わたしが土くんに話を聴きたいって思ったのは、たぶん、憧れがあったんだろうな…って、話しながら気付いて…。

わたしも、25-6歳の頃に、17人くらいでシェアハウスに住んでたんです。一人暮らししたことなかったから、初めて“自分の家以外の家”で過ごして。
2年くらい住んでたんですけど、他のみんなの作るご飯の感じ、休日の過ごし方然り…全てが新鮮で驚きでした。

わたしが17歳のときに両親が離婚してからずっと、母といっしょだったので、“母の世界観の中に存在するわたし”という感じでした。そこから出たときに、それぞれ別の世界観を持つ人が17人もいたわけで…。
いい大人だったのに、自分の好きなことやしたいこと、どうやって暮らしたいのかとかを改めて考えて、初めてわかったこともありました。

そのとき一緒に住んでた友だちと、「結婚しても子どもが産まれても、ずっとここにみんなでいたいよね〜」とか話してて。
でも、その後ポツリポツリと出て行って、それは叶わなかったんだけど…。やっぱ、他の人と暮らしをシェアして、子どもを育てたいなってどっかで思ってたんだろうなぁ。

自分が育ってきた家族のことを思うと、「お母さん」の絶対的な正解があった感じがしていたので、自分が子育てをするときには、わたし以外の正解や世界があるって知ってほしいって思っていたんです。けど、今、実態がそうかというと、そうではなくって…。

だから、話を聞きながら、土くんが育った環境に憧れがあるんだろうなって思いました(笑)

土:うらやましがられるのは、確かにありますね。

穂子さんとかは、自分だけが唯一の正解じゃないというか、絶対化しないで、いろんな人の中で相対化する、みたいな形で僕と関わりたいって思って、たぶん、沈没をはじめた。

ずーっといっしょに、沈没だったり八丈島だったり、いろんな形で近くにいるけど…結果的に、やっぱり彼女の影響をすごい受けてるなって思いますね。

それこそ、ドキュメンタリー映画やりたいなって思ったのも、穂子さんの影響(笑)

「この映画おもしろいよ〜」ってオススメされたドキュメンタリー映画を観て、『こんなおもしろいものがあるのか…!』ってなったから。

好きな音楽とかもカブるし、小さい頃に連れられて行ったインドに、大人になってから自分でも行っちゃうとか(笑)

つくづくやっぱり彼女の…もちろん、押し付けてるわけじゃないんだけど、彼女がやってきた生き方に対して、素直に自分もおもしろいと思っちゃったりしてますね。絶対化ではないんだけど、おもしろいと思っちゃう…。

沈没に対して羨ましいって思ってくれる人がいると同時に、僕、穂子さんに対して羨ましいっていうか、劣等感がありますね。

ひろみ:なるほど…。

土:すごい人ですよ…ほんとに(笑)母親っつーか、人間としてほんとにちょっとねー…レベル違いな感じがします(笑)レベルっていうか、すごい人ですよね…なかなかいない。

まっは(カメラマン):大人になってもそう思えるのってすごいですね…いいですね…。

土:大人になったから思えるかもしれないですね。大人だから思えますね。

土:めぐに、「沈没で育って嫌だったことって何?」って聞いたら、『汚かったこと』って言ってました(笑)
今あるようなシェアハウスと沈没が違うなって思うのは、【プライベートを確保された住民たちの部屋】っていう空間と、【そこに住んでる住民たちみんなの公共スペース】っていうところと、その他に、【単純に、外からめっちゃ遊びに来る人たちにとってのスペース】っていうところがあったから…

ひろみ:(笑)

土:そりゃトイレも汚くなるわな、みたいな(笑)外から人が入ってるかどうかってのが、今のシェアハウスとの違いとしてはありますね。

ひろみ:確かに…。人の“出入り”があるって、大きな違いですね。

ひろみ:土くんの本を読んでいて、興味深いなって感じたのは、映画「沈没家族」で、八丈島に行く場面に曲をつけてもらったら、その歌詞を聴いた穂子さんが、「八丈島に行くのが不安だったわたしの気持ちが何でわかったの?」と話した、という部分。
土くんにとって、穂子さんは“怖いもの知らずの強い人”のように見えてたから、びっくりした、と書いてあって。

親と子どもは、大人になってからじゃないと、親の不安とか、弱さって、わかれないのかな?って思って…。
子どもが薄々感じるところもあるだろうけど、親の不安とか弱さみたいのって、なんでか、親は子どもに見せないようにしちゃう。または、見えないようになっちゃってるのかもしれないけど、そういうのがあるな、と思って。

映画の中で、沈没家族がおもしろそうだからって沈没家族に来た人たちがいて、そうやって関わっていった人たちが、「沈没での生活は青春だった!」って言ったりしてて…。“共同保育”っていう、子育てありきの生活が、“青春だった!”なんて感じられるなんていいなって思って。そういう、ポジティブな面もありつつ…。

けど、ほんとに最初、穂子さんが共同保育をしたいって案を話に行ったとき、「あのときの穂子ちゃんは、ギリギリな顔してた」って言っている人もいて。「土を抱いて来たときに、ほんとに疲れているように見えて、死なせちゃいそうな危機感みたいなのが伝わってきた」…って。

土:そういう証言者もいましたね。

ひろみ:映画の中で、「沈没で、子どもを育てるのってめっちゃ大変だって知ることができた」とか、保育人をしてたけど、「自分の子どもを持つってなったら…正直怖いかも」と、発言している人がいたのも印象的でした。

穂子さんの大変さとか、しんどさ、不安とかを知ってる大人が側にいたこと、そしてその“別の大人”も、不安とか大変だなっていう、“良いだけじゃない感情”って言ったら変だけど…そういう感情も、共有されてたのって、いいなって。

穂子さんだけが不安とか大変さを抱えて、それを一人で消化しようとしてるんじゃなくって、その不安が…見せようと思ったわけじゃなくって、溢れちゃってたのかもしれないけど、それを受け止めてくれる誰かがいたことだとか、
「子育てってめっちゃ大変!」っていうのを、穂子さんと土くんの間だけで終わらすんじゃなくって、他の人も「子どもを育てるのって大変なんだね…」ってわかってくれていて。
そういうのを、他の人とシェアしたり、他の人が自分事で感じてたのとか、すごいよかったんだろうなぁって思いました。

わたしは、家庭環境のこともあったけど、でも、「ぱぱとままになるまえに」っていうNPO法人してて、結婚して、子ども産んで、よかったね!みたいに思われがちだけど(苦笑)そうでもない自分の迷いや不安とか、葛藤とかあるし…。そういうのを、もっとだだ漏れしてもいいんだろうな、と思いました。

土:穂子さんとかも言ってたのは、沈没って、やっぱ、最初はほんとに物理的にサバイブするための場所だったんです。経済的な水準も低いし、シングルマザーで、働いているときに誰か子どもを見ててもらう人が必要だった。生き延びるために、まず必要だったっていうのはあるんだけど。

同時に、「子どもがはじめてしゃべったぜ!」とか、子育ての喜びとか発見とか、悩みも。“家の中に”話せる相手がいて、孤立しないで、感情がだだ漏れで、シェアできる人が近くにいたっていうのが、物理的じゃないところとしてはすごいよかったんだろうな〜って、穂子さんとかしのぶさんとか、育てている側の親は言ってましたね。

児童虐待とかっていう結果になっちゃう親とかも、孤立してる場合が多いですよね…。だから、そこで、関われて、何か言ってあげられる人がいればいいのにな…と思う。沈没の場合は、それが家の中にあったっていうのが(笑)よかったんだろうな〜。

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