ぱぱとままになるまえに

命をたどる。【西出博美:あとがき】

今回、はじめて“オンライン公開取材”という形で「ぱぱままっぷ」を作ってみました。

「オンライン公開取材」と告知をしておきながら、取材…?と疑問に感じることがあって。
じゃあ、対談…?と言ってみるも、どうもしっくりこない。

取材というと、話を聞き出す“役割”を持って向き合ったり、話を聞き出す側は静、話す側は動という、一方的な印象があって。
対談というと、ゲストの方と向かい合って話しているのに、それとは別に、その方の奥に多数の人をも視野に入れて、そこへ向けて主張があって話すような感じや、“あらかじめ”伝えたいことが決まっているような印象があって…。

わたしにとっては、他者と、「その人の人生についての話」(家族についての話、としないのは、あえて。)をすることは、とっても“自然なこと”なので、「取材」という言葉を使いながら、違和感があったんだなぁと、振り返りながら思いました。

「ぱぱまま」では、ゲストの方に話を聞かせてもらうけれど、一方的に話を聞くだけではなくて、わたしも思ったことや、感じ・考えたことをお話する。でもそれは、多数の人へ向けての主張ではなくって、目の前にいる、その人の話を受けて、生まれる言葉。

お互いに話して、受けて、また話して…。そのスタンスは、参加者としてその場に足を運んできてくれた人たちも同じ。お互いに、話したり聞いたりしながら、その場・空間をつくってゆく。大切にしているのは、きちんと、皆が、共にいること。

そんな「ぱぱまま」という場を、オンラインだったけれども、皆で久しぶりに体感できてよかった。そして、そのダイナミズムごと「言葉という形に残し、伝えていくこと」にも、これからはどんどんチャレンジしていこう、と思えました。

・ ・ ・ ・

参加者の方が感想で、
『「ぱぱまま」も、恵ちゃんも、昔から知っているから、今日はいいタイミングだと思って参加しました。実は、妊娠がわかったばかりなんだけれど、妊娠・出産に関してって、自然にしていると、ネガティブな話…“なかなかうまくいくもんじゃない”っていう話の方が入ってきやすい気がして…。今日は、個人の話をちゃんと聞けて、すごいよかったなって思います。
恵ちゃんの話を聞いて、個人的には、不安に思ってもしょうがないし、なるようになるんだよな、ってすごい思って。そういう気持ちになれてよかったです。」
と、伝えてくれました。

世の中に溢れる情報は、「わかりやすさや、伝達の早さ」を主たる目的にしているような気がしていて…。

そうすると、いきなり、「なんとかなるし、なるようになるよ!」みたいな、根性論のような、根拠のない超ポジティブな“言葉だけ”が先走ってしまったり、はたまた逆に、「やっぱり他人と暮らすことだからね…」のように、結婚生活の苦労話や、妊娠・出産の壮絶な体験や、産後のしんどさ、子育ての大変さ…等々、ビビらされて終わり!みたいな、振り切った話になりがち。

センシティブな話は、早く・多くの人に“刺さる”から。

けれど、それって、短い期間だけ効く応急手当のようなものなので、困難や、不安や迷い、躊躇いや悩みを前に、その都度、欲していかなくては、もたなくなってしまう。けれど本当は、「長く作用するもの」が欲しいはず…。

未体験の「妊娠・出産・子育て」という出来事を前にしたときに、わたしたちの手元には、あまりにも手札が少ない。

職場の同僚や、仲の良い友人、兄弟姉妹など、身近な人が妊娠したり、子どもを産んで育てていて、「妊娠したばかりの頃から様子を見ていて経過を知っているとか、新生児を抱っこさせてもらった経験がある」という人は、少ないのではないだろうか。

少子化が進み、かつ、所属が細分化されている現代では、自身が子どもを産む前だと、子育てをしている人が身近にいたり、関わりを持つことは難しい。その結果、長く作用するはずの「見通しを持てるだけの関わりや実体験」が不足しています。

妊娠・出産・子育てに関して、全てのことが体当たりの初体験!という中で、情報化社会は進み、簡単に情報や知識が手に入るようになりました。「見通しを持てるだけの関わりや実体験」がない中、情報だけしか手元にないというアンバランスな状況の中だと、情報が“正解”かのように思えてきてしまうことがあります。

でも。当たり前のことだけれど、生き方における解に、“正”も、“不”も、ない。

それぞれの経緯があって、それぞれの解にたどり着く。解が先にあるのではなくって、経緯の先に解がある。

だから、結婚や、妊娠、出産、子育て…に限らず、何か不安なことや迷うこと、悩むことがあったら、わかりにくくて、時間を要するかもしれないけれど、誰かひとりでもいいから、「人の人生の話をじっくり聴くこと」が長く作用をするはず、と考えています。

悩んでいることが、「結婚」のことだとしても、結婚についてピンポイントで話を聴くのではなくて、「人生単位」で話を聴く。情報を“取得”するのではなくって、“関わる”。そうすることで、当たり前にある、それまでの経緯に気が付くことができるから。

・ ・ ・ ・

わたしにとって、他者と、「その人の人生についての話」をすることは、当たり前で、自然なことでした。だけれど、心を開いてくれた相手あってこそ。とても感謝をしています。
「ぱぱまま」を通した関わりのなかで、拡がってきた考え方や世界があって、ここまで来れたんだよな、と感じています。

でも、きっとそれって「わたしだけ」に必要なことだったわけではないはず。

顕在化されていないだけで、結婚や妊娠、出産、子育て、家族をつくっていくことに、不安や、迷いや、悩み、躊躇いや困難がある人たちは社会の中にいる。

そして、そんな人たちの躊躇いや困難は、既存の情報や知識“だけ”では、解決できないのではないだろうか。

結婚・妊娠・出産・子育て・家族…などに関することって、まだなかなか、オープンに語られることのない項目です。

けれど、誰かが心を開いて語ってくれて、その話を聴くことで、救われる心があったり、気持ちが軽くなることがある。

「解決する」とは言い切れないけれど、「解く」ことはできる。そう感じています。

誰かの不安や迷いや悩みを前に、「誰かが少し心を開いて話をしてくれて、その話を聴く機会」を用意することが、私たち「ぱぱまま」の使命かもしれないな、と思いました。

・ ・ ・ ・

恵ちゃんは、文字にして残すことに不安や迷いもあったそうですが、わたしは、経緯も含めてまるっと話をしてもらい、話を聞かせてもらう場を作って、その時のことを文字に残せて、本当によかったなぁと感じています。

「この子を産んでよかった」という世の中に溢れている言葉が、テンプレではなく、地に足をつけてくれるような、きちんとした重みを持って伝えることができるものになったな、と感じました。

パッと聞きのわかりやすさも大事かもしれないけれど、言葉には引力と重みがあっていいと思っています。

恵ちゃんとは、お互いが大学生のころからの付き合いで、普段からいろいろなことを話してきていたので、だからこそ、じっくり、恵ちゃんのこれまでをなぞって、輪郭をより一層濃くしていくような時間をもてました。

恵ちゃんの命をたどった、深い時間。

「命のたどり方」って、いくつも道があって、今のわたしは、恵ちゃんちの赤ちゃん「うめちゃん」の写真を見て、あぁ、うちの「わーちゃん」も、赤ちゃんのころ、こういう寝方をしてたなぁ〜と、“母視点”で、たどっていたようなところもあれば、妊娠中の恵ちゃんの話を聞いて引き出された、妊婦時代の想いや感情もあったり。

(これは「わーちゃん」の写真。トップ写真の「うめちゃん」と同じ寝方。)

わたしが「ぱぱまま」をはじめた当初は、自分のお母さんには聞けないし、こんな風に話してもくれないだろうけど、「こんな風に思ってくれてたのかな」とか、そういう子どもの側からのたどり方をしていた時もありました。

それぞれの参加者の方の感想を聞きながら、「ピンポイントで答えや知識を伝え、解決することを目的にしていない場」だからこそ、それぞれの「たどり方」で話が聞けるのも、「ぱぱまま」の良さかもなぁと感じました。

たどることは、輪郭をより一層濃くしていくようなこと。それは、きちんと、「在る」ことの確認でもある。

恵ちゃんの話を聞いた参加者の方が、「なんとかなる!」と思えたのには、(ここには記載しきれていませんが、他にも何人かそういう感想の人がいました)様々な経緯の中でも、テンプレの言葉や大勢へ向けた情報や、周りに流されることなく、“きちんと恵ちゃんが居た”ことがわかったからだと思う。

自分自身で、“自分の解”に辿り着いた人の話と言葉には、力強さがある。そして、その力強さに、話を聞いた人のエンパワーメントが引き出され、「なんとかなるかも」と思える。そう思えなくとも、もちろん良くって、経緯を全部聞けたことが、のちに作用してくることもあると思う。

即効性は、ないかもしれないが、それでいい。必要なことに、時間と手間をかけたい。

・ ・ ・ ・

振り返っていて、「長い付き合い」の友人がいることの有り難みを、わたしは子どもを産んだ後に、かなり感じたことを思い出した。
わたしはママになったけれど、ママになる前のわたしを知ってくれている友だちとの時間の中には、ママになると「終わってしまった」と誤認してしまいがちな「わたし」が、実はちゃんと終わってなかった、と感じることのできる時間があったから。

「ぱぱとままになるまえ」だった頃のわたしは、子どもを産むと、なんだか「わたし」が、終わっちゃうような気がしていたけど、結婚・妊娠・出産を経て、子育て中のわたしが思うのは、「そんなことないよ」ということ。ママになったからって、別人に変身したり、別世界にワープするわけでもない。

良くも悪くも、前の状態の「わたし」が終わる、なんてことはない。

わたしは、わたしのまま続いてきたし、それはきっと、これからも。

だから、ママになってからのわたしは、「ぱぱとままになるまえ」の人に、あなたはあなたのままでいいんだよ、とか、急に変わらなくて平気だし、「あなた」は、終わらないから大丈夫だよ、と、伝えたい。

でも…このままだと、あまりに聞きなじみのある言葉なので、そのまま伝えるつもりはなくて、そのことを伝えるために、これからも必要な時間を手間をかけていきます。

連載ページへ戻る