ぱぱとままになるまえに

「生きていける力があるから、生まれてくるんですよ」

けいちゃん:島根から帰ってきて、新年度を迎えると同時に夫と一緒に暮らしはじめて、夏に結婚式を挙げたんだけど、そのちょっと前に妊娠が分かって。私の場合、つわりもなくて、新しい仕事も順調にさせてもらっていました。

異常に気づいたのが、4〜5ヶ月ごろだったかな。
それまでは家の近くのクリニックで診てもらっていて、たしかに夫とは「うちの赤ちゃんはちょっと小さめだね」と話していたんだけど、特に異常があるとは言われていなかったんだよね。

安定期にも入るし、里帰り出産の準備を進めようと思って、実家の近くの産院で診てもらったんだけど、先生が「あれ?赤ちゃんが小さい」って。
それから2週間後に、別の先生に詳しく診てもらうことになって。そこでも告げられたのが、やはり赤ちゃんが小さいということだったんだよね。

先生からは「落ち着いて話を聞いてくださいね」と言われて、夫と2人で、いろんな原因や疑いの可能性が考えられることを聞きました。そのときに、「今回の妊娠は諦めるという選択肢もありますよ」とも。診察室を出たら、もうへろへろだったな。

その後は、紹介された大学病院へ。そうしてわかってきたのが、胎盤に大きな血腫ができていて、だから赤ちゃんに十分に栄養を送れていなかったということ。

ひろみ:そのころに連絡をくれたんだよね。赤ちゃんの様子が徐々にわかってきて、診断が出て、いきなり「産む・産まない」を、2週間くらいで決めなきゃいけなくなってたんだよね。私はけいちゃんがどうしたいのかっていうことが一番大事だと思っていたから、その考える材料としていろんな情報を伝えて…。

けいちゃん:何をよりどころにして考えたらいいのか分からなくって。検査結果?産んだ後、育てていけるかってこと?って。
ひろみさんに教えてもらった団体にも連絡して、相談してみたんだよ。「こういう状況で、産むか迷っています」って。でも、「産んだ方がいいとか、産まない方がいいとかはお答えできません」としか返ってこなくて。当たり前なんだけど、結局自分で決めるしかないんだよね。とするならば、自分が産みたいかどうかなのかなぁって。

それを決断していく過程で、大学病院の先生には、中絶する場合どうなるのかとか、そのときのリスクも、夫と一緒に聞きました。でも、そのときの週数だと「産む」も「産まない」も行為としては同じなんですよね。(※)

そのときに思い起こされたのが、昔どこかで聞いた「赤ちゃんは、生きていける力があるから生まれてくるんですよ」という言葉でした。
産まれてくる過程で、死産ということもありうるわけで、どうなるかは分からないけれど、やれるところまでやってみようって思えたの。

(※)このとき、けいちゃんの妊娠週数は20週だったため、もし「産まない」を選択すると、「中期中絶」という段階になっていました。20週での中絶方法は、子宮収縮剤を投与し、人工的に陣痛を起こす分娩様式となるので、こうした表現になっています。

ひろみ:私は「妊娠をしよう」というスタートも、自分(たち)の意思からはじまるので、親の気持ちで「この子は産んで育てられないな」って思ったら、中絶するも、それはそれでその人の選択だな、と思っています。

そこに「悲しい」とか「ひどい親だ」とか「赤ちゃんがかわいそう」とか、そういう意味づけを他者がするもんじゃないな、と思っていて。だからけいちゃんがどっちの選択をしてもいいな、っていうのは思っていたんだよね。

でも、けいちゃんが言ってて、すごいいいなって思ったのは、「この子に生まれてくる力があるなら信じてみようと思います」と連絡をもらったとき、お腹の中にいるときから信じてもらえて、この子は幸せだなと思っていたよ。

(結婚式にて。このときすでにお腹には赤ちゃんがいました。)

けいちゃん:ありがとう。
「産む」って決めてからは、予め先生から、小さい赤ちゃんは早産になる可能性が高いことや、そもそも陣痛に耐えられないことを聞いていて、予定日よりも早めに、1ヶ月くらい管理入院をしていました。

ひろみ:けいちゃんの場合、管理入院中、この先のことを悲観して泣いて過ごしていたというよりは、残りの妊娠生活を刺繍とかして楽しく過ごしていたように見えたけど、どうだった?

けいちゃん:うん、悲観はしていなかった。普通に社会の中で生活している方が、不安だったり、傷つく場面もあったりしてつらかったかな。
私たちは信頼できる先生たちに巡り会えたというのもあって、病院という守られた空間にいられる方がむしろ安心できるねと話していました。

夫が病院に来たときに、看護師さんが「この人、全然弱音吐かないのよ〜」なんて言ってるのを聞いて、「え?そうなの?」って思ったくらい(笑)なんかもう私の中では、山場はすでに越えていた感があって、「産む」ことができる安堵の方が大きかったかも。

入院中は、刺繍をしたり、本を読んだり、ポッドキャストを聴いたり、映画を観たり、ベッドの上でできる楽しみを探して過ごしていました。

まさに出産直前も。赤ちゃんもがんばってくれていて、まだ大丈夫そうだね!と夫と電話していた翌日だったんだけど、お昼ごはんを食べ終わって、モニターで確認するためにお腹にベルトを巻いて、いつものようにポッドキャストを聴いていたんだよね。
そうしたら、赤ちゃんの心拍が下がっていたようで、急に看護師さんや先生たちが集まってきて、あっという間に緊急帝王切開に。

先生からは「いいお産だったね」って言ってもらえて。赤ちゃんが元気に生まれてきてくれて、本当によかったです。

(555gで無事に産まれました。)

産むか悩んだけど、「産んでよかった」しかない

けいちゃん:出産後は、赤ちゃんはNICU・GCUに4ヶ月くらい入院していて、私は週3日、母乳を持って会いに行っていたんだけど、赤ちゃんがそばにいなくて悲しいとかはあまり思わなかったかな。

早産で赤ちゃんを迎えたお母さんって、自分を責めてしまいがちらしくて、NICUにはカウンセリングを受けられるように心理士さんもいてくれたりするんだけど、私の場合は早産も予め分かっていたことだったから。

出産前は「呼吸器も必要な赤ちゃんかもしれない」とも言われていたんだけど、実際生まれてみたら自分自身で呼吸することもできていたし、あとは見守るだけと思っていました。

(口に入っている管から母乳を飲んでいます。)

けいちゃん:会いに行ったときは、カンガルーケア(抱っこ)をしたり、ミルクをあげたりして、それ以外の時間は家に一人だったけど、わりとゆったり過ごしていました。

今は1歳10ヶ月(イベント開催時)になって、他の子と比べるとやっぱり小さいし成長もゆっくりなんだけど、でもお陰様でとっても元気に育っています。
妊娠中は「産んでも産まなくてもつらい選択になると思います」って言われたこともあったけど、今は「産んでよかった」しかない。

ひろみ:それこそやりきったんだね。

けいちゃん:うん、そうだね。産んだ時点で、私の役割はほとんど果たしたぞって感じかな(笑)

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