ぱぱとままになるまえに

「ママになりたい」の原点は、高校の部活から

2022年12月17日、村橋恵さんをゲストにお迎えして、オンラインにて公開インタビューを行いました。

当日は妊婦さんや出産されたばかりの方、また、仕事と出産の間で揺れている人など、テーマに関心のある7人が参加し、あたたかな時間となりました。
こちらでは、その様子をお伝えします。

(公開インタビューに参加してくれたみなさんと。)

村橋 恵(むらはし・けい)
1989年東京生まれ。2021年2月に出産。公立小学校の教員として勤務。現在、育休2年目。

「ママになりたい」の原点は、高校の部活から

(2017年、ひろみ(左)とけいちゃん(右)。お互い島根県に住んでいたときの写真。)

ひろみ:けいちゃんと初めて会ったのは、お互い大学生のときだったけれど、そのときから「ママになりたい」と、ずっと言っていたよね。

「結婚したい」とか「子どもが好きだから、いつか子どもがほしい」とかじゃなくて、独特の言い方というか、独自の考えで「ママになりたい」っていう気持ちを言っていたのがすごく印象的だったな。

なのでまずは、「ママになりたかった理由」を聞かせてもらえますか?

けいちゃん:そうだね〜。当時から、よく言っていたね。私は中高一貫校に通っていて、6年間ずっとバトミントン部に所属していたんだけど、そのときの経験が大きいかな。

中2のとき、部長に選ばれたんだけど、当時はあまり嬉しくなくて、辛いことの方が多かったんだよね。それが高2になって、全学年のトップの立場になってからは、見える景色が全然ちがって、自分のための練習というよりも、後輩のための部活になっていった。

あの子たちのためって考えたら、練習メニューを考えるのも、試合を見に行くのも、全てがやりがいになって、学校に行くことも楽しくなっていきました。

高校を卒業するとき、「この子たちの成長をもう見れないんだ」ってことがすごく悲しかったんだけど、顧問の先生から「こんなに部活を愛してくれてありがとう。今度は自分のために生きてね」って言われて。

私自身、大学は自分の学びたいことを追求する時間にしたいと思っていたから、もうママにでもならない限りこの気持ちは味わえないんだろうなって覚悟していたんだよね。それがあって、「ママになりたい」という言葉につながっていったんだと思う。

ひろみ:中高生の部活で、後輩たちに母のような気持ちで接していて、大学生になるとそれが終わっちゃうってなって、「あとはもうママになるまでこんな思いすることないんだな」なんて、そんなこと言ってる人、他にいなくって(笑)

本当にずっとけいちゃんは「ママになりたい」って言ってたけど、大学を卒業してすぐにママになったわけではないんだよね。

けいちゃん:そうだね。卒業後はカフェを通じてコミュニティをつくっていく会社に就職しました。

(カフェで働いていたときの様子)

ひろみ:なんでカフェの会社?

けいちゃん:大学では教育学を専攻していたんだけど、その中でもアメリカにある「サドベリーバレースクール」の研究をしていました。現地を見に行ったときに、サドベリーのスタッフ(ここで働く大人は「先生」ではなく「スタッフ」とされている)が「ここは一つのコミュニティなんだ」と言っていたのが印象的で。

「こういう学校をつくろう」って保護者さんたちが立ち上がってつくられたのが、サドベリーバレースクールの成り立ちなんだけど、そのときにモデルとされていたのが地域のタウンミーティングだったことが分かったんです。

それならば、日本にもそれぞれの地域文化が生きているはずだから、その地域コミュニティを再生していくことで何かできないかなと考えていました。それで、教育と地域コミュニティの2つを軸に関心を持っていて。

だけど当時は東京にいて、この2つが両立できるお仕事にはなかなか巡り合えませんでした。だから、どんな道に進むのがいいか悩みました。

そんなときに見つけたのが、「カフェを通じてコミュニティをつくっていく」という理念の会社。教育現場にはあとからでも関われるし、色々な経験を経てからの方が現場で活かせることが多いんじゃないかと思って、新卒の今だからできることを優先させて、その会社に就職することにしました。

ひろみ:どのくらい働いていたんだっけ?

けいちゃん:1年間。大学院までずっと、教育のことしかやってこなかったんだけど、スタートアップの企業でアルバイトしていた時期がありました。そのときに、教育の世界とはまた違う、おもしろい世界を見させてもらった体験があって。

そういう、いろんな世界につながっていられるのがカフェかなと思って働いてみたんだけど、やっぱり教育に関わりたくなっちゃって。

それで、その後は児童館の職員に転職しました。児童館といっても、中高生向けの放課後の居場所で、バンド練習に来る子たちもいれば、「学校やめたい」と言ってくる子もいたりして。彼らと何でもないことをしながら、とりとめのない話をするその時間も愛おしかったんだけど、もう少し深く関わりたいなって思うようになっていったんだよね。

そこで、大学院の研究でお世話になった方々に会いに行ったら、島根県の益田市で「社会教育コーディネーター」という、小学校を地域コミュニティの拠点にしていくためのお仕事を募集していると聞いて。
何度も現地に足を運ばせてもらい、心の中が決まっていきました。やっと、地域とコミュニティのどちらにも関われる!って。

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